株式会社大朋

竹内 大介さん

小さな林業会社の野望「100ヘクタールの持ち山で循環する山づくり」

スレンダーな体躯に両脇にポケットのついたスリムパンツ。左耳には三連のピアス、薄いサングラス。およそ林業家らしからぬ出立ちで現れたのが、株式会社大朋(おおとも)の代表、竹内大介さんだった。

「伐倒のときには僕も防護服を着ますよ。でもユンボに乗るときは、いつもこの格好。面白くないじゃないですか、作業着だと」と何事でもないように言う。

どこまで本気で冗談なのか。初めはつかめなかったけれど、竹内さんがユンボを自在に操る様を見てすぐに気付いた。「何は大丈夫で何が危険か」を知り尽くしている人なのだ。

独学で学んだという竹内さんの林業は、自ら体で習得したぶんその知識や勘は鋭い。だからこそ、業界の“常識”に盲目的に従うことはないし、林業家らしくない格好の裏には古い林業界への反骨心があるようにも見えた。

3人の会社で「35年循環」の森をつくる

竹内さんはユンボに乗り込むと、30メートルほどはある木をどんどん切り倒していった。身長の何倍もある高い樹を、機械を手のように自在に操り、バキバキと折ってひょいひょいと片付けていく。手慣れたものだ。

作業が進むごとに森は明るくなり、周囲にはいい風が流れ始めた。

まず、林業の仕事とはどういうものかを説明してくれる。

「木の植わっている山を買って、伐って売ってお金に変える。それが基本です。どこの林業会社もお金になる木が欲しいので、まっすぐに育ったスギの山を立木だけ買うのがほとんど。昨年まではうちも同じことをしていました」

ところが一年前、ウッドショックで山の値段が上がり、今までのようには山が買えなくなったのだという。

「うちみたいな小さな会社は資金に限界があるので山が買えなくなって。その時、何ができるか必死で考えました。思いついたのは、人がやらないことをやればいいってことです」

一つは、スギなどの針葉樹の代わりに広葉樹の山を買うこと。樹形が均一でなく、まっすぐでないものが多いため、針葉樹に比べて安くで買える。伐った樹はチップにして紙の材になる。

もう一つは、森林整備の仕事を始めたこと。他社が伐ったあとの森を整備し、苗を植える。肉体労働なので仕事はキツいし、木を伐った後の山には価値がないと思われがちなので、山をまるごと安くで入手できる。

じつは竹内さんには、大きなビジョンがあった。自社の持ち山を増やして自分達で整備し、管理しやすくなった山に植林をして成長した木を販売する。35年のスパンで山を循環させて森を育てていくことだ。

「木は育つのにおよそ35年かかります。ひと月に1ヘクタールずつ伐採と植樹をするためには、年12ヘクタールが必要です。場所を変えながら、それを35年間やり続けるためには、300〜400ヘクタールが必要になる。でもそれだけあれば、持ち山だけで林業をまわしていける。山の市場価格に振り回されることもなく、他社と競争する必要もなく、自社の森だけで木を育てて生きていけるんです」

想像すると、その未来像は鮮明で、魅力的に思えた。

今、そうした循環型の林業を実現しているのは、大手の林業会社のみ。そこに、従業員3人の会社、大朋でも挑戦してみたいという。

そのためには、会社で森林経営計画(*)を立てることが必要になるが、自社で100ヘクタールを保有するか、市町村が定める区域内に30ヘクタール以上の山をもっていることが条件になる。

この一年、他社が伐採を終えて価値の下がった山を買い集め、すでに持ち山は100ヘクタールに手が届くところまできた。夢の入り口まで、もう一歩というところだ。

誰かのためになるなら

話のスケールの大きさに感心していると、竹内さんは自嘲気味に笑った。

「でも正直、俺個人には一つもいいことないんですよ、35年の循環型の森なんて言っても。実現する頃には、俺、確実にもう林業してないですから」

それなのになぜ?と問うと、一瞬沈黙した。

「どうしてだろうな…」と自問し、確かめるように話し始める。

「スギもヒノキも、いま俺らが伐っているのは、50年前に誰かが植えた木ですよね。それを今、自分らが伐って売って……仕事をさせてもらっている。そのおかげで家族や従業員も食べている。だから俺の子供か孫か、よその人かわからんけど、今俺らがやっていることが、将来、誰かのためになっていればいいんかなと思うんです」

ほかの仕事に就いていたら、そんなこと、考えもしなかっただろうと言う。

林業を始めたから、もてた感覚。

林業は面白い

29歳で林業に出会うまでさまざまな仕事をしてきた。だが一年以上続いた仕事は一つもなかったという。

「20代になってすぐ結婚したので、家族を養うためにとにかくいろんな仕事をしました。工場でも働いたし、バスの運転手も、営業も。営業の仕事って自分がいいと思う商品じゃないと売る気になれないんですよ。高いものを年寄りに勧められんし」

林業を知ったのは、親戚のおじさんが林業家で、バイトをしたのが始まりだった。

「チェーンソーも使ったことないし、ユンボも乗ったこともないのに、まず『やらんか』って言われるんです。道つけて木を伐って集めとけよって、一人山に置いていかれて」

何とか見よう見まねで仕事を覚えていった。でもそのおかげで、おじさんの元にいたのは7ヶ月だったが、一通りの仕事ができるようになった。そして一つ、確かな思いが残った。「林業は面白い」。

「とにかく自由なんです、林業は。俺は管理されたり、人に指示されるのがすごく嫌いなので、もうこれしかないと思った」

さらに言えば、林業には嘘やごまかしがなかった。体は張るが、木を伐って出す分だけが、シンプルにお金になる。

林業を続けていくためには、あらゆることをしたという。森林組合で頭を下げて仕事をもらったこともある。「皆伐」と「間伐」の違いもよくわからない初期の頃は失敗して叱られもした。木を買ってくれそうな先はすべて営業にまわった。

やがてカツオ節を燻すのに使う薪を伐り出す仕事を任せてくれた人がいて、その後7年間は自営で、時々アルバイトを雇いながら、薪を出す仕事を続けた。

それにしても、林業という特殊な仕事の技術を、独学で習得できるものなのだろうか。

「山に木を伐っている人がいるなと思ったら車を停めて、ひたすら見るんです。観察して、写真を撮って。山の道のつくり方も人によってクセがあって、上手な人はすごくうまい。出来上がった道を見れば、こういう傾斜にすればいいんだな、とわかるけど、どうやってつくるか?は、ユンボに乗っているところを見ないとわからないので、ひたすら見ます」

知りたい一心で貪欲に吸収する。センスもあったに違いない。やがて、一人で年収1000万円近くを稼ぐまでになる。

「以前の仕事では、手取りで月12〜13万円もらうのに必死だったのが、林業を始めてトラック一台出せば20万円がぽんと入る。自分にとっては本当にいい仕事でした」

そして2018年、竹内さんは株式会社大朋を設立。今は2人の従業員を抱えている。

自分の望む働き方をしたい

「今まで林業をやってきた人たちからすると、俺らはずいぶん異端だと思いますよ。一般的な林業の当たり前とは違う形で仕事しているので」

でもそう話す口ぶりには微塵も迷いがない。人の目を気にするより、自分が望む働き方をしたい思いが強い。

「多く働けばそのぶん売上も上がるので、林業会社の中には今も早朝からから深夜まで働く会社もあります。おじさんのところも時期によってはそうで。そのぶん給料はいいけど、自分は残業代はいらんから早く帰らせてほしいと思ってました。いま、うちの会社は朝8時から夕方5時まで。1時間残業したら、翌日は1時間早く帰るようにしています」

慣習に縛られるのは嫌いだが、「山師」と言われる人たちへのリスペクトは最大限にもっている。

「俺も仕事で木は伐るけど、山師じゃない。山師って基本に忠実なんです。枝がひっかかるからパンツにポケットがあってはいけないし、ヘルメットは絶対にかぶる。昔気質な人たちですよ。でもその分、皆伐、間伐、除伐などオールマイティにできるプロです。国有林など技術力が要る仕事をできるのは山師です」

自分はそうはなれない。多様な林業のスタイルがあって、自分には自分のスタイルがあるということだろう。

「だからうちの従業員にはとにかく『自分でやらんね』って言うんです。自分に合うやり方を見つけろ、自分の形をつくれって。それは一朝一夕でできるものではないから」

今の時代、何をするにもレールにのらなければいけない気がしてしまう。農業をするならこの道、料理人になるなら、先生になるなら…これが正しい道だよと。でも初めからレールに乗っていなくても、「まずやってみる」気持があれば、どの地点からでも何にでも挑戦できる。そう教えられるようだった。

「最近、この辺りの山がどんどん荒れているんです。他県から業者が来て、木を伐るだけ伐って放置していくので。俺らは、林業には不利な場所でも、近隣の山をできるだけ買うようにしています。近くにいれば、山主として何かあった時に対応できるので。禿山のまま放置されるのを、黙って見ていられない」

この場所も整備が終われば、向こうの山まで見えるようになる。

「ずいぶん見晴らしがよくなりますよ」と、竹内さんは清々しい顔で言った。

(*)森林経営計画とは、山の持ち主、または持ち主から委託を受けた森林組合や林業事業体が、長期的な方針を決め、森の5カ年計画を立てて市町村の認定を受ける制度。大手の会社や森林組合が立てるのが一般的で、代理で申請もしてくれる。だが手数料の負担が大きいため、大朋では自社で計画を立てることを目指している。

取材・文 | 甲斐 かおり
写真 | 小野 慶輔