Azu salon
小脇 梓さん
愛しいものが増える仕事。
「お客さんの笑顔がすごく嬉しい」
宿利原地区は、錦江町でも奥まった場所にある。そんな山間地にお肌と身体をメンテナンスするサロン「Azu salon」ができた。近隣の女性たちにとってそれは嬉しいニュースだったに違いない。サロンを開いたのは、小脇梓さん。22歳の若さで、錦江町から車で30分ほどの鹿屋市で開業し、一時はコロナ禍で休業したものの、いまは地元の宿利原地区に店舗があり、再び鹿屋でもプライベートサロンをオープンさせた。
小脇さんが大きな声で笑うと、ぱっと大輪の花が咲いたようにあたりが明るくなる。この笑い声に癒されるお客さんも多いのだろう。
けれど彼女の愛嬌だけを見て侮ってはいけない。小脇さんの開業に至るまでの行動力、計画力たるや、話を聞けば聞くほどデキる起業家だった。柔道整復師の資格を取得しようと決めた学生の頃から、いつかは独立して自分で開業すると決めていたと話す。
女性に安心して受けてもらえるサロンに
青空の下、真っ白な四角の建物がきれいに映える。宿利原地区の住宅街の一角に「Azu salon」は建っていた。中へ入るといい香りが満ちている。手前にはドライフラワーが飾られた部屋が広がり、奥が施術室。ピアノの優しい音楽がかかっていて、すっかりくつろいだ気持ちになった。
「自分が行きたいと思うようなサロンにしたいなと思ったんです」と小脇さん。今年で開業して6年目になる。
まずこうしたサロンが、こうした山間部にあること自体が珍しい。
Azu salonは、小脇さんが「柔道整復師」という国家資格をもち、美容だけでなく、身体に不調を抱えるお客さんに医療的なアドバイスもできるのが特徴だ。また、柔道整復師には男性が多い中、「女性が施術してくれるので安心して受けられる」といった女性の声が多い。
美容などのメンテナンスサロンと聞くとぜいたくなイメージもあるが、Azu salonでは比較的リーズナブルな値段で設定してあるため、みんなが安心して気軽に通ってくる。小脇さんが相手の状態を丁寧に聞き取り、個々に合わせて施術を行う。
思うような施術がしたいから独立へ
その人の症状に合った施術をしたい。それが自分の店をもちたかった一つの理由だった。整骨院に勤めていたこともあるが、保険適用施術では決まりごとが多くあった。
「自分が思うような施術ができないなと思って。やはり整骨院とは違う、自分のお店をもちたいなと学生の頃から思っていました」
初めて訪れたお客さんにはまずカウンセリングから行う。
「体調や、肌悩み、持病のことなどを伺って、一番その方に適した施術を考えます。痛みのある方の場合は、身体のケアをしますし、肌悩みの方の場合はフェイシャルケア。基本はオールハンド施術です。でもここに居る時間だけで100%改善はできないので、家でできるケアもお伝えします」
コロナが明けてマスクを外すようになり、最近は美容の相談も増えた。身体のケアと肌のケアで需要が半々くらい。不調を抱えて訪れたお客さんが、帰る頃にはずっと明るい顔を見せる。「それが一番嬉しい」と話すいう。
ビジネスマン顔負けの女性起業家
柔道整復師になりたいと思ったのは、高校生の頃に、ある整骨院に職場体験へ行った時のことだった。
「なぜだか、この仕事がしたいって強く思ったんです。保育士になるための学校へ行っていたので親や先生たちにも驚かれて」
初めのうちは周りに反対もされたが、自分で専門学校を見つけてくるなど決意の固い彼女を、最終的にはみんな応援してくれた。
卒業後は霧島市の整骨院で働きながら、休みの日には地元で固定客をつくるために、車で2時間以上の距離を帰って施術することを始めた。
「私、50人固定客ができるまでは開業しないと決めていたので」とさらっと笑って言うが、冗談ではなかった。その徹底した計画性、仕事ぶりは舌を巻くほどだ。
「はじめは母や祖母の人脈でチラシを渡してもらって。施術を受けたい方が5人以上集まったら、帰ると決めて」
ガソリン代などのコストを考えて「5人以上集まらないと帰れない」と考える。そんな思考が初めから備わっていたのだとすると、一介のビジネスマン顔負けだ。
さらに鹿屋に最初のお店を出したあと尚、この起業家マインドはますます発揮されていく。
仕事の合間にチラシをつくって1日1000軒ポスティングをしたり。車のディーラーで車検待ちをしている女性向けにハンドケアをする提案をして、トヨペットをはじめ主要なディーラーで好評だったり。
「鹿屋の店は、初めは自宅サロンだったので、やはりお客さんからすると、初めて訪れるにはハードルがあるんです。でも一度対面で話してハンドケアでふれていると少しは信頼関係がある状態で来てもらえる。私も一度会っている方だとより安心ですし、ここで出会った方で今もリピーターの方がいます」
対応できるお客さまを増やすために
自分の身体と向き合いケアすることは、お客さまの心にも大きく影響するのだと、サロンを経営してより感じるようになった。
高齢者の多い錦江町では、高齢者施設などからの依頼もある。錦江町が開催している「認知症カフェ」で、「メイク講座」「スキンケア講座」の依頼をAzu salonで引き受けたことがあった。
「まずはご自身でスキンケアなどやっていただくのですが、皆さん肌の色がずっとよくなるんですよね。その後、メイクまですると年配の女性たちが本当に嬉しそうで『このままどこか出かけたいね』なんて話になって。ああ綺麗になりたいという気持ちに年齢は関係ないんだなと思いました」
今はお客さまも増え、自分の店での施術で手いっぱいで出張やイベント出店依頼が受けにくくなっている。そこでセラピストを増やしたいと考えるようになった。
「やはり一人で施術できる人数は限られているので、せっかく依頼をいただいてもお断りすることが増えると、その方を見捨てているような気持ちになるんです。何とか対応できる体制をつくりたいなと思っています」
課題は、小脇さん同様に施術できるセラピストを増やしていくことだという。
鹿屋に再び店を出したのも、一緒にやっていける人を見つけ、育成しやすいと考えたからだ。
どこからその行動力が?
いま、小脇さんは錦江町のサロンから車で15分ほどの場所に住むお祖母さんのもとで、日本舞踊の修行中でもある。
「3歳から日本舞踊をやっているので、小規模でもいいから日本文化を継承していきたいと思っています。何より舞台を見に来てくださる方を元気づけたいなと。サロンをやっている理由と同じかもしれません」
サロンの経営だけでなく、日本舞踊の舞踊家としてのキャリアを両立させることも、小脇さんの目下の目標なのだという。
その行動力は、一体どこで培われたものなのだろう?
そう尋ねると子どもの頃の話になった。
「すぐそこの宿利原小学校に通っていたんですけど、同級生が3人しかいなかったので、そのぶんいろんな体験をさせてもらったなと思うんです。それが今の仕事にもつながっているんじゃないかと。たとえば人前で話すのは得意じゃなかったけど、他にいないから自分が話すしかない。それで鍛えられたり」
宿利原小学校と今は廃校となった旧宿利原中学校が、Azu salonから歩いてすぐの場所にあった。
「小学生の頃、一人に一つ畑をもらったこともあって。そこで何を育てるか、自分たちで調べて考えて実際に農作物を育ててみたり」
子どもたちにとって、畑は未知の世界だったに違いない。小さな頭で考え、試行錯誤しながら、自分自身で何かをつかみとっていく。そうした過程で得たものが、大人になって人生にとても役に立っている。そう思うと、小学生の頃の体験はかけがえのないものばかりだった。
5年ほど前から、地元である宿利原に何か恩返しができないかと、小脇さんは知人とともに廃校になった中学校でマルシェを始めた。
「もともとこの地区でお菓子をつくる方がいて、カフェスペースとメンテナンスができる癒しの空間をつくれないかなと話していたんです。ほかにもお花屋さんなど一緒にやりたいという人が何人か現れて。初回は10店舗くらいが集まって小さなマルシェを始めました」
ローカルな小規模イベントだったマルシェにもかかわらず、遠方からも出店者が来てくれるようになり、来場者も最大500名近くが訪れたのだそうだ。現在は年に1回、他イベントと合同でマルシェを開催している。
他にも女性消防団の活動など、小脇さんの名刺の裏は、関わっている活動の名前でぎっしり埋まっていた。
家族や友人、知人など、自分を取り巻く人たちが支えてくれていることも、小脇さんの原動力になっている。
「宿利原に店舗を出して、この店を大事にしたいと思うのも、やっぱり生まれ育った所だし、この場所が好きなんです。この静けさがいいのかもしれません」
この場所が、彼女の原点なのだ。