菓心 まとはら

古地 早苗さん

小さな菓子店のまるぼうろがつなぐ未来

鹿児島市の中心部・天文館に県内全域から特産品が集まるアンテナショップがある。県商工会連合会が運営する人気店、通称「かご市(いち)」だ。ここで、8年連続で売り上げトップを誇る菓子がある。錦江町にある「菓心 まとはら」の「まるぼうろ」だ。

地域自慢の品々が1200点以上並ぶ「かご市」で、長年に渡りトップを保持し続けている。その秘密は何だろう。商店街にある店を訪ねると、創業者である父とともに店を支える古地早苗さんが出迎えてくれた。まるぼうろの人気を話題にすると、メガネの奥の目がニコッとした。

「うちのは特別なものじゃないんですよ。運が良かったんだと思います」

さらりとそう話す。それでこれだけ長く支持され続けるものだろうか。古地さんにもっと話を聞いてみたくなった。

8年連続売り上げトップに

「菓心 まとはら」は、古地さんの父である真戸原睦男さんが、中学卒業後に20年間修業を積み、1982年に開いた店。地域に根付いた店づくりを大切に、仕事を続けてきた真戸原さんと妻のすみえさん。「真面目一筋」と両親を評する古地さんは、娘としてその姿をずっと見てきた。古地さんは土木関係の仕事をしていたが、20年ほど前から両親の手助けをするために店に入り、子育てが落ち着いた10年前から本格的に関わり始めた。

「かご市」に出品を始めたのもちょうど同じ10年程前のことだった。錦江町商工会の会員だったことから、天文館にできるアンテナショップに商品を出しませんか?と声をかけられ、何気なく申し込んだことが始まりとなった。その頃は、まだ町の外で売るという感覚はなかったと古地さんは振り返る。

8年ほど前に転機が訪れる。「かご市」の店で、まるぼうろが店の目出つ場所に陳列される機会があった。そこで多くの人の目に留まり、味を知った人がリピーターやまとめ買いをするファンになった。そして売り上げトップになり、以来ずっとその状態が続いている。

いい商品を作っていても、売り方次第で流れは大きく変わる。陳列の変更をきっかけに、まるぼうろの魅力が多くの人に伝わった経験は、古地さんが、商品力とともに、販売力を研いていく原点になったと言えるだろう。

多くの人に愛される秘密

まるぼうろをあらためて眺めてみる。丁寧に焼かれたことが伝わる均一な焼き色の美しさが印象的だ。一方で、形やサイズに大きな特徴はないようにも見える。

食べてみると、あれっと思う。今まで食べたものと何かが違う。やわらかいけどやわらかすぎない。しっとりだけどしっとりしすぎない。甘いけど甘すぎない。強く自己主張する訳ではないが、しみじみと幸せになる美味しさがある。もしかしたら、特別な製法なのだろうか。作業を見学させてもらいながら質問してみた。

「卵は志布志の『じどっこ卵』を使っていますが、ほかの材料はいたって普通。だから私たちがこの評判にびっくりしているんですよ。ただ、焼き方が他のお店とは違うかもしれませんね」

均一に延ばされた生地を型で手際よく抜きながら、古地さんはそう答えた。詳細は企業秘密であるが、特別な材料を使わなくても、工程にひと手間加えるだけで、この美味しさが生まれる。ほれぼれするほど滑らかでしっとりした生地が、この味の秘密を物語っているように思えた。

一流百貨店への出店にチャレンジ

「かご市」で注目を集めるようになって数年。次の転機は日本橋三越本店で開催された特産品イベントへの出店だった。知り合いから声がかかり、思い切って挑戦することにした。

「日本橋三越本店で販売できたら、すごく勉強になるし、ここを乗り越えたら自信がつくと思って。店以外で販売するのは初めてだったし、基準も厳しくて大変でしたが、学びがたくさんあり、挑戦してよかったと思っています」

一流百貨店の本店への催事出店。JANコードの整備から、契約書の作成、バイヤーとのやり取りなどにチャレンジし、一つひとつクリアしていった。

思い切って一歩外へ出たことで商品が知られていき、人と出会う機会も増えた。そこから良い縁がつながっていった。

東京で開かれた県人会に出店したときには、知り合った人が、これをほしい人が絶対いるから、と羽田空港で魅力ある特産品を発信するショップのバイヤーを紹介してくれた。このバイヤーが、鹿児島に来たときに「かご市」でまるぼうろを買っていたこともあり、販売されることになる。その後、半年という短期間で1万個を売り上げる結果を残した。

商品には適材適所がある、と古地さん。買い手のニーズにピタッとはまれば、地元での販売価格よりも高くても、都会での需要はある。思い切って商圏を広げれば、地域の事業者も可能性が大きく広がるという好例を見せてもらった気がした。

 

運をチャンスに変える

話を聞いて特に印象に残ったことがいくつかある。一つ目は、商品力。「真面目が一番の近道」が口癖という父の代からの実直さを守り、丁寧に手作りを続けていること。そして、ほかにはない味わいも魅力になっている。

二つ目は、ストーリー。古地さんは自分でまるぼうろの生地を作り、焼いて、売る。サツマイモや自然薯を自家栽培し、原料生産から製造・販売まで一貫して手掛ける菓子もある。これぞまさに六次産業化だ。すべてを手掛けているからこそ、すべてを語ることができる。その説得力が人の縁を引き寄せ、商品の魅力をアピールする力になっている。

三つ目は、販売力。自店以外の場所で商品を販売するときは、古地さんは必ず売り場に出向いて商品の特徴などを説明するそうだ。店ごとに適した売り方があると考えていて、そのことについて店の人ともフラットに意見を交わす。時にはPOPを自作して店へ届けることもある。店の人からも要望を直接聞くことができるので、商品のブラッシュアップにもつながっている。

「かご市」へ出品したことも、陳列が変わって注目を集めるようになったことも、良い縁がつながっていったのも、自ら強く意図した訳ではない。“運が良かった”という言葉は、このことだったのかと思う。

確かに運が良かったかもしれない。しかし、古地さんは、そのチャンスをつかみ、果敢にチャレンジし、努力して結果につなげてきたのだと感じた。

地域の事業者や学生とコラボレーション

古地さんのもう一つのチャレンジがある。2021年には、同町内の「今隈(いまくま)製茶」のお茶を使い、鹿児島純心女子短期大学の学生と「ほうじ茶まるぼうろ」を共同開発した。お茶の価値を伝えようと積極的な取り組みを進める地元事業者とのコラボレーション。新しい感性を持つ若者との関わりからも学ぶことが多いと言う。

古地さんは、これまで培ってきたつながりを生かして、自分の店だけではなく、関わりのある地元商品も外へ紹介していきたいと考えている。県外のイベントに出店するときには「今隈製茶」のお茶などを持って行く。地方の事業者が道を切り拓いていくためのひとつの方法を示してくれている。

「錦江町にはいいものがたくさんあるけれど、売り先の出口に出合えていないものも多いと思います。これからの田舎での商売は、単体では難しいので、誰かとコラボしたり、強みに特化した商品作りをして、客層をピンポイントで狙っていく…。そうすることで、全国に販路が広がっていくといいなと思います」

幸せな味をつないでいく

「特技=仕事、趣味=仕事」と笑うほど、古地さんは菓子を作り、販売することが楽しいそうだ。平日は、製造して販売。休日は、菓子の原料となるサツマイモや自然薯(じねんじょ)、和製シナモンと呼ばれるけせんの葉などを自家栽培している畑で両親とともに汗を流す。「1年に364日働いている」と実にエネルギッシュだ。

プライベートも充実している。実はバイク乗りで、ワイルドなスタイルのアメリカンバイク「ドラッグスター」が愛車。子どもの保育園にもお迎えに行っていたというからユニークだ。県外でのバイク関係のイベントにまるぼうろを携えて出店することもあるそうだ。

「実は、昨年ガンになって。鹿児島市の病院に放射線治療のために通っていたときに偶然知り合った人と縁があり、昨年末には結婚もしました」

人生の一大事についてさらりと語る古地さん。目の前のバイタリティーあふれる姿と病気が一致せずに混乱していると、現在は治療が功を奏し、薬を飲みながらではあるが元気に働くことができていると話してくれて、安堵した。

「周りは心配してくれたけど、切れば治るんだからって、自分ではあまり不安は感じませんでした。言葉には言霊があると思っているから『大丈夫』と」

東京や関西の百貨店などに“出稼ぎ(=出店)”に行く時には夫が手伝ってくれる、と幸せそうだ。病気に飲み込まれず、良い縁につなげてしまうエネルギー。休みなく働くことも、新しい世界に挑戦することも、考え方次第で楽しみややりがいになり、面白がることができると、古地さんを見ていて感じた。

創業から40年。「まとはら」には未来を担う後継ぎも名乗りを上げている。古地さんの次男、幸継さんだ。一本気の職人気質と、その存在を語る母としての表情はうれしそうだ。

最後に、古地さんにこれからの抱負を聞いてみた。

「私の体験を知って、自分も頑張ろうと思ってくれる人が一人でもいたら、私が生きている意味があるのではないかと思います。これからもたくさんの縁をいただきながら邁進していきます」

取材・文 | 小谷 さらさ
写真 | 小野 慶輔