クラシックブドウ浜田農園
濵田 高輝さん
自分らしく面白く、家業に挑む。
2024年1月。城山ホテル鹿児島の瀟洒なワインバーに、多くの報道陣が集まった。錦江町のクラシックブドウ浜田農園が手掛ける花瀬ワインの試飲・お披露目会が開かれたのだ。そこにはスーツ姿が清々しい濵田親子の笑顔があった。
浜田農園は、花瀬川のせせらぎが聞こえる自然豊かな地にある。クラシック音楽が流れる農園として知られ、遠方からもブドウ狩りを楽しむ人が訪れる町の名所だ。先の花瀬ワインは、浜田農園が2年前に開設した花瀬ワイナリーで製造したもので、原料のブドウ栽培からワイン醸造まで自社で一貫して手掛けている。
浜田農園の濵田高輝さんは、園主・濵田隆介さんを父に持つ24歳。鹿児島県立農業大学校果樹科を卒業し、岡山の農業法人に就職後、花瀬ワイナリーの立ち上げに伴って鹿児島に帰ってきて、今年で3年目になる。
「継ぐ」に向き合った学生時代
浜田農園の歴史を紐解くと、昭和50年代に、園を創設したばかりの初代が急逝し、その息子である隆介さんが農大在学中に事業継承したという経緯がある。隆介さんは苦労を重ねながらも、ブドウ栽培を安定させ、品質を高めてきた。 農園にクラシック音楽を流すという画期的な栽培方法で話題を集め、観光農園も軌道に乗せた。
高輝さんは、そんな父を見ながら、将来は浜田農園の後を継ぐのだろうと漠然と思っていたという。家族がそれを強いることはなかったが、周囲の人から農園や父の評判を聞くことも多く、後継者の道はすでに定められているように感じていた。特に中学生になった頃からその思いは強くなる。「敷かれたレール感があって、自分は好きな道を選べないんだ…と一人ですごく悩んでいましたね」と当時の想いを率直に語ってくれた。
前向きな気持ちを持てないまま「流されるように行った」という農業高校。そこで高輝さんの気持ちが少し変わる出来事があった。農業に夢を持っていきいきと向き合う同級生たちとの出会いだ。「農高に行ってめちゃくちゃ仲良くなれる友達ができて、自分と同じ農業という世界で頑張る仲間ができたのがうれしかったですね」と振り返った。
その後、鹿児島県立農業大学校に進学。県外に出たい気持ちもあったが、鹿児島の農大の設備が群を抜いて充実していたこともあり、ここを選んだ。一方で、高輝さんは「そのときもまだ農業が大好きにはなっていなかったです」とまた本音で話してくれた。しかし、ここでも良い出会いがあった。果樹科の講師・松尾至身さんに師事したことで、高輝さんは農業の面白さを体感していく。師の熱意に導かれるように、新しい栽培技術にも挑戦。自分で言うのも何ですが…と笑いながら「農大では自分で育てた作物を販売する市があるのですが、ブドウで例年の11倍の売り上げをつくることができました」と成功体験を話してくれた。
岡山の農業法人で経営に目覚める
農大卒業後、高輝さんは岡山の農業法人に自ら電話をして社長にアポイントを取る。「浜田農園の将来を考えたときに、イチゴがあると冬場も安定すると思い、ブドウとイチゴで成功している所で学ばせていただきたいと思ったんです」と動機を語る。何度か岡山に通って滞在し、社長と話をする中で「うちは経営に力を入れているから、それを教えてやるけん、やってみるか?」と声をかけてもらい、就職することになる。この「経営」というワードが高輝さんにグッと刺さった。「技術を真面目に高めていけばという思いがあったし、親父がブランド化を頑張ってきたという自信もあったが、うちはもっと経営を意識することが必要なのでは…」という気づきを得たという。
卒業後の高輝さんの行動から、農園のために自分が何をするべきかを考え、積極的・戦略的に動いている様子が伝わってくる。学生時代の葛藤を経て、また、様々な人との出会いもあり、家業への向き合い方を変化させていったのだろう。そして、岡山での経験を通じて「経営に力を入れる」という自分らしい関わり方のヒントを掴み始めているように思えた。
岐路がはっきり見えた日
経営に精通する社長の下で働きながら学ぶ。その生活は充実していた。夢中で仕事を覚える日々が3か月程続いたある日の夜、鹿児島の父から電話が入る。「第一声のトーンで、ああ何かあるなと思いました」と振り返る。その頃、浜田農園ではワイナリーの計画が着々と進んでいるはずだった。しかし、想定外の出来事が起こり、隆介さんの計画は行き詰っていた。働き始めたばかりの息子を呼び戻すことには両親共に大きな葛藤があったに違いないが、農園の存続に関わるほどの事であり、高輝さんの力が必要という結論に至ったようだ。
「目の前に岐路がくっきり見えました」。父の苦渋の想いを受けとめながらも、すぐに返答はできず、悩み抜いた高輝さん。社長の「(離れても)わからないことがあったら聞いていいぞ」という温かい言葉もあり、就職して8か月で岡山を後にした。決断の理由を問うと「やっぱり、家族だから。ここで帰らなかったら自分の心に反するなって思いました」と微笑んだ。
試練で見えた「今やるべきこと」
実家に戻り、農園で働く生活が始まった。学校時代に比べて手掛ける規模が格段に大きくなり、作業の質とスピードを両立させなければならなくなった。父の指示を仰ぎながら取り組むものの、農業の難しさを実感する日々だった。「親父が言うことが100万パーセント正しいのは分かっているんですけどね…」と笑いながら、当初は対抗心もあったと正直に話してくれた。「俺も頑張っているんだけどなあ…って思ってました」と微笑む。対抗心と言いつつ、その穏やかな話しぶりに人柄が感じられた。
1年目の夏、ブドウが最盛期を迎えようとする頃、浜田農園に二つの大きな試練が訪れた。それは、ワイナリー建設の危機とブドウ栽培の失敗だった。その頃は、コロナ禍や戦争等の影響で建築資材が高騰し、入手が難しくなった時期に重なる。隆介さんは対応に忙殺され、ブドウ栽培は高輝さんが担う比重が大きくなった。農園の収益を上げたいという思いが強かった高輝さんは、摘果(一部の果実を間引くこと)の判断を誤ってしまう。質の高いブドウをつくるには適切な摘果が必要だが、房を残し過ぎてしまい、結果的に一部で味の薄い品が出来上がったのだ。顧客からの浜田農園の質の高いブドウへの信頼は厚い。このブドウは出すことはできない…という決断に至り、一時は休園もした。年間で最も収益の上がる8月に、ワイナリー事業は停滞し、ブドウも販売できないという二重苦に、家族全体が落ち込んだ。
ふさぎこむ家族を前に、高輝さんが思わず発した言葉は「俺がいるんだから頑張れよ!」だった。家族への愛情、家業を支える覚悟…様々な想いが詰まった言葉が力になったのだろう。家族は再び立ち上がった。隆介さんはワインを学ぶために長野のワインアカデミーへ、高輝さんも自分がもっと成長しなければと気持ちが変わった。「それからはいい方向に向かっていると思います」と引き締まった表情で話してくれた。
家業への誇りと人とのつながり
今、高輝さんは、父の技術や知識を学び、一人で回せるくらいに成長したいとまっすぐに事業に向き合う。そして「どうやったら仕事がもっと面白くなるか」をいつも考えているという。「この家に生まれて、自分は恵まれている。親父はゼロからだったけど、俺は少なくとも1はありますから」と笑顔で語る。父の大きな存在も、今やモチベーションになっているようだ。
「うちのブドウとマンゴーが一番美味しいと思っています」という言葉からも、家業への誇りが伝わる。スタートしたワイナリー事業も絶対にうまくいく、と前向きだ。ソムリエや支援者を農園に招き、収穫や醸造を体験してもらう企画を行うなど積極的に花瀬ワインの魅力を発信する。2024年2月には城山ホテル鹿児島での取り扱いも実現した。
仕事外でも、人とのつながりが広がっている。「ワイナリー建設のときにお世話になった大山組の大山創央君から誘ってもらい、錦江町商工会青年部に入りました。この町にはバイタリティーのある人が多いし、みんなで応援し合う空気がある。自分の能力は全然すごくないけど、周りにはすごい人がいっぱいいる。みんなでいい未来に向かっていけたらいいと思います」と力を込めた。これまでの経験から、人との出会いの大切さを知る高輝さん。県内外の研修会などにも積極的に参加し、様々な刺激や学びを得ているそうだ。
花瀬で一日楽しめる場所をつくりたい
最後にこれから挑戦したいことを聞いた。「つたない構想ですが…」と言いながら、「ここ花瀬で一日しっかりと楽しめる仕組みをつくりたい」と夢を語ってくれた。石畳の美しい花瀬川という資源を生かして、ブドウ狩りだけではなく、川沿いに陶芸や銀細工などの体験ができる工房やサウナ施設、グランピング施設等をつくり、ここに来たら目一杯楽しめる場所にしていきたいそうだ。「できるかわからないですけど、サウナの後に川に入るとか、川の上に建物を建てるとかも面白そうですよね」とアイデアが溢れる。「地元ももちろんですし、遠くから来てくれるお客さんを大切にしないといけない。わざわざ来ても満足してもらえる場所にしていきたいんです」といきいきと語った。
花瀬川のせせらぎを聞きながら、美味しいブドウを摘み、手作りのランチを食べ、クラフト体験やサウナを楽しむ…。人々がここに笑顔で集う未来を想像して心が躍った。もちろん宿泊して、花瀬ワインで乾杯できたら最高だろう。
そして高輝さんは「俺は錦江町が好きだし、家族も好きで、ここには婆ちゃんとの思い出もある。都会に出て何百万人の人と同じ生活をするより、ここならマイノリティーというか、他と違う生き方ができるんじゃないかと思います」とこの町で生きる意志をはっきりと語ってくれた。
そういえば、高輝さんの父・隆介さんはワイナリー事業について「大変なのはわかっている。大変だから面白いんです」と笑顔で語っていた。高輝さんも濵田家のそんなマインドをしっかりと受け継ぎながら、自分らしい方法で面白がりながら夢を実現していくのだろう。仲の良い親子が共に汗を流す農園には、ブドウの葉の間からやわらかな光が射していた。