株式会社岩崎木材工芸 代表取締役・ハゼノキ活用団体めぐる 代表
岩﨑 理恵さん・内田 樹志さん
「地域の企業の一員として自分がやりたいことをやれる」「馬が合うってこのことかな」。ある植物が結んでくれた、錦江町への幸せな移住。

「こんなに素敵な出会いってあるの?」
二人の取材を終えた、取材班はしみじみと感じました。
それほど、お互いにとって良い出会いだったことを感じさせる内容だったからです。
ある植物に魅せられた男性が、東京から鹿児島県・錦江町へ移住しました。
「話せば話すほど(その植物に)熱心でね。マニアックな人だって分かったんですよ」
その男性を社員として受け入れた、株式会社岩崎木材工芸の代表取締役・岩﨑理恵(いわさき・りえ)さんはそう言って笑います。
同社は、木材伐出、山林造林、植林などの部門と、現在伐採が禁止されて希少な木材になっている屋久杉を使った家具工芸品の製造販売をしている林業・木工会社です。
その男性とは、現在同社の一員であり、ハゼノキ活用団体「めぐる」の代表でもある内田樹志(うちだ・たつし)さん。
お二人に、出会いや現在の活動内容、見つめている未来などをお聞きしました。
お金には換えられない価値。良いタイミングで出会えた二人
— 内田さんは、大阪府出身だそうですね。
内田:はい、大阪府八尾市出身です。小さな工場がたくさんある地域で、朝から工場のガチャガチャした音が聞こえていました。同級生にものづくりをしている中小企業の家庭の子が多く、ものづくりは子どもの頃から身近で、おもしろいと思っていました。できるものなら自分がやってみたいなっていう思いはすごくあったんです。
その土地の風土や歴史、工芸に触れるのが好きで、大人になってから全国のいろいろな地域に足を運びました。最初に魅せられたのが和紙です。調べると、和紙の主な素材であるコウゾとミツマタは、今はほとんどタイ産で、国産の素材が激減している問題があると知ったんです。その経験があったからこそ、工芸の一番根幹にある問題点に、のちに気がつきやすかったのだと思います。
次に惹かれたのが、和ろうそくでした。大きな炎、温かみのある色、炎が風もないのに揺らいでいる姿に魅せられてしまって、さらに、その揺らぎは自然素材によるもので、人工的に再現できないとも分かったんです。「自然界ってすごいなぁ。どうやってつくっているんだろう、どんな人がつくっているんだろう」と思い、いろいろな職人さんを訪ねました。そこから素材のほうに関心がうつっていったんです。


— どのような理由で、ものづくりから素材のほうに関心をもったのですか。
内田:理由は大きく二つあります。一つは、和ろうそくに限って言えば後継者がいらっしゃったことです。複数の和ろうそく屋さんに、ほぼ全員僕よりも年下の後継者さんがいらっしゃいます。和ろうそく業界として切迫した後継者問題を抱えているわけではありませんでした。
もう一つは、和ろうそく屋さんが困っていらっしゃるのが、やはり素材だったことです。すべての和ろうそく屋さんが異口同音に「素材が少なすぎて、どこで誰がどれだけつくっているのか、全く分からない」とおっしゃったんです。また、昔から使っている道具を修繕できる方がいなくなったり、つくり方が分からない道具があったりして、道具の課題もありました。
和ろうそくは、ハゼノキの実から採れる「櫨蝋(はぜろう)」が主原料です。自分がいいなと思ったものを後世に残していく手段として、何が最適解なのかを考えたとき、「素材がなくなったらつくれないのだから、終了だ。どうなっているのか、まず現状を自分で知ろう」と思ったんです。

そこから、よりハマっていった感じです。ありとあらゆる和ろうそくの職人の方にお会いして、半日とか1日かけてお話を聞かせていただきました。現状がどうなっているのか、何に困っているか、または将来的にどこが困りそうか、忌憚なくお話しいただけたんです。お話しするうち「やっぱりハゼノキに着目しなきゃいけないんだな」と、自分なりの課題感を持てました。
ハゼノキは昔、ワックスや文房具、染色の素材として使用されていた魅力的な植物です。秋には紅葉が美しく、花は蜂蜜、幹は染料や弓にもなります。実は、困窮した農村部の人達を救った歴史もあります。「世界を変えられるかもしれないくらい魅力的だ。この魅力を広めたい!」と思いました。それが2020年です。当時は東京の会社に勤めていて、近々退職しようと決めました。
— 地域でハゼノキを育てることが視野に入り、その後、錦江町とのご縁ができたんですね。
内田:移住することをほぼ決めて、移住先を探し、いろいろな地域のプロジェクトに参加し始めました。ハゼノキは錦江町を含む大隅半島が発祥の地といわれ、盛んに生産されていた歴史があり、250年以上も実を採り続けた記録が残っているんです。
移住系のオンラインイベントに錦江町が出ていて、窓口として参加されていたのが錦江町職員のパワフルな女性でした。今は産休中なんですけど。すぐに錦江町を訪れると、その女性職員さんが町内を案内したり、いろいろな人を紹介したりしてくれました。居心地の良い方ばかりでした。2回目か3回目に来た2021年の夏に、岩﨑に出会ったんです。
岩﨑:私が、ある会議の帰りに錦江町のゲストハウス「よろっで」にフラッと寄ったんですよね。そうしたら、たまたま内田たちのグループが飲み会をしていて。
内田:そうそう。

岩﨑:当時「よろっで」代表をされていたあきらくん(山中陽さん)が接客していて、私に「ハゼノキをやってる人が来てますよ」って。「ハゼノキをやってる人って何!?」って返したんです(笑)。「林業の人?」と聞いたら、「いや、違います。何してる人だかよく分かりませんけど」と言って、内田を紹介してくれました。
内田:名刺交換をして少し話をしたら、岩﨑が「ハゼノキは林業に関わるだろうし、うちは林業やってるから、明日時間があれば事務所に一度来てください」と言ってくれて。
岩﨑:ハゼノキを植えたいという話だったから「植え付けとかやったことあるんですか」って聞いたら、「ない」と。林業や農業の経験もなく、チェーンソーも握ったことすらないって言うんですよ(笑)。どうするのかなって。
実は、創業者である祖父がハゼノキの実を採ったり、子どもの頃に遊んだりしていたんですよ。まちには古いハゼノキがまだあります。根占(ねじめ。錦江町の隣にある現・南大隅町)が一大産地だったことも、今はほとんど生産されていないことも知っていたんです。私は弊社の屋久杉の事業で伝統工芸の職人さんたちと交流があり、そこに和ろうそく屋さんもいたんですよね。ハゼノキも和ろうそくも、全然知らないことではなかったんです。
だからもっと話を聞いてみたいし、移住先を探しているようだったから、「時間あるんだったらお話ししてみましょうか」って提案して、次の日じっくり話をしました。

内田:次の日、一通りこちらの思いを話したんですけど、「植える土地はどうするのか」と聞かれても「分かりません」という状況で。ハゼノキの実は植えてから収穫できるまでに5年かかるので、それまで収入がないという課題もありました。
岩﨑:いろいろ話すうちに、「それだったら一緒にやる?」という話になったんですよね。理由は二つあります。一つは、森林の状況です。錦江町は、まちの約76%が森林です。スギやヒノキなどを伐採した後に再び苗木を植える「再造林」をしないと、土砂災害のリスクが増えるなどの問題が起きますが、錦江町の再造林率は、2024(令和6)年度は約35%でした。
近隣の市町村では100%に近いところがあるのに、錦江町では山主さんがご高齢だったり、山に興味がなかったりしてなかなか進んでいません。だから内田と話して「ハゼの実が採れ始めて山主さんに還元できる状況になれば、再造林に目を向けてくださる方が出てくるかもしれない」と思ったんです。
もう一つは、内田が経営の相談相手になってくれると感じたからです。当時、私は3代目として岩崎木材工芸を事業承継することが決まっていて、引き継ぎをしたり林業の免許を取得しに行っている時期でした。これから会社をどう回していこうか、一人で悩んでいたんです。内田は大手電気メーカーで営業開発や販売といった仕事を経験してきたので、私がやりたい事業に対して的確なアドバイスをくれました。
内田:僕は「自ら事業を起こす」をテーマに数年学んでいたんです。前職で中小零細の企業の税制優遇や、補助金取得のために事業計画や補助金申請の補助も行っていました。
岩﨑:私はマネジメントをちゃんと学んできたわけではないし、実際に事業を回して数字とにらめっこするのは初めてのことで。弊社のような小規模な会社の経営について、相談できる人がいなかったんですよね。お金には換えられないものでしょう、そういう価値って。タイミング的にすごく良かったんです。
内田は後ろ盾が全くない状態で始めようとしていたので、こちらが植える土地は提供できるし、お互いのやりたい事業をマッチングさせることもできるし、それだったらより一層一緒にやればいいんじゃないかと。「うちのスタッフとしてハゼノキの活動をすればいい」と提案したんです。
内田:びっくりしましたよ。「5年間、収入が何も入りませんけど大丈夫ですか」って何回か確認したんですけど、構わないというお話で。
僕にはハゼノキという「やりたいこと」があって、そこに具体性を持たせて、かつ支援をしてくださるところが現れて、「これ以上のご縁はないな」と思って。他の土地を選ぶ理由が完全になくなったんです。錦江町への移住を決めました。
2021年11月に退職し、2022年1月に移住して、業務委託契約を結びました。東京の他にもいろいろなところに住んでいたんですけど、中核都市や県庁所在地ばかりだったので、人口が10万人以下のまちに住むのは初めてです。
岩﨑:最初はいっぱい話をしたんだよね。よそから移住してくるってなかなかできないと思うので、内田がちゃんと定住できるようサポートできればっていう思いももちろんありました。当時は毎晩10時とか11時頃まで、お互いがやりたいことについて、ずっとしゃべっていたよね(笑)。
仕事から趣味の話まで、お互いに「どういう人間なのか」をオープンにして。腹の探り合いをしてもしょうがないもんね、一緒にやるって決めたんだから。馬が合うってこういうことなんじゃないかな、みたいな。
一方で、会社の話では内田から「何がやりたいのか」とチクチクやられて(笑)、自分の基盤をもうちょっとちゃんとしないといけないなと考えさせられました。
内田:僕のほうがわりと現実的なことをきつく言うタイプで、当時は「会社を継ぐにあたって、どうしたいんですか」とか、話していましたね。

自分がワクワクすることをやり、それが人のためになればなおさらいい
— 岩崎木材工芸の一員として自分のやりたかったことができるのは、すばらしい環境ですね。
内田:活動を理解いただいた上で入ったので、今、本当に自由にやらせていただいています。
岩﨑:いつ出社してもどこに行ってもいいんですよ(笑)。
内田:(事務所にある、個人の予定が書かれたホワイトボードを指差して)あれが僕の予定表なんですけど、月末から10日ぐらいまでずっといないですよね。どこ行ってるんだっていう(笑)。
おかげで最初から商品づくりまで見越していろいろなところに行けました。和ろうそく以外の可能性も探っていて、化粧品にできる可能性が見えてきました。僕が全く知らない業界なので、どういったプレイヤーがいて、何をしているのかを最初に知らなくてはいけなかったので各地を回ったんです。そこまで自由にやらせてくれて感謝しています。
自己資金も一部では使っているのですが、林業の研修を受けさせていただいたり、土地を提供していただいたり、いろいろなことでサポートいただき助かっています。5年たったらちゃんと返さなきゃいけないなっていう気持ちです。

— ハゼノキは、気候的に大隅半島が適しているのですか。
内田:基本的に温暖地で、かつ水はけの良い場所が適しています。過去にどの土地で植えられていて、どこが盛んだったかを調べれば、土地との相性は見て取れるので、植える土地を選ぶとき大切にしようと思ったんですね。
ハゼノキはウルシ科なので、移住前に耕作放棄地にウルシを植えたところを見に行ったり、実は初めて錦江町に来たとき、ハゼノキがどういうところに植わっているのかの調査もしたりしていて。未経験ではありましたけど「はげ山になっているところに植えればいいのかな」という発想はありました。
植えるタイミングはもっと後になると思っていたんですが、岩﨑が最初に支援に名乗り出て、土地の段取りをパパッとやってくれたおかげで、最初の年から一気に植えることができました。翌年以降も植えています。
提供いただいた町内の土地にハゼの苗木を合計500本ほど植えました。また、ハゼノキの活動を一緒にやろうと集まった仲間と立ち上げた「めぐる」もありまして、仲間がいる福岡県那珂川市にも合計110本ほど植えました。メインはその2箇所です。他に、千葉、埼玉、佐賀に植えたいと言ってくださった方がいて、5本ずつ送って育てていただいています。


— 岩﨑さんは2023年10月に代表取締役に就任されたそうですね。仕事をする上で、内田さんから影響を受けていますか。
岩﨑:影響は大きいですね。ビジョンがより鮮明になりました。彼は「自分はこうしたい」っていう信念がちゃんとあって、ぶれないんです。私も、山や木に関してはこうしたいという信念があるものの、感覚で生きているので、内田から「ではその部分をどう周りに理解いただいて、求心力を高めていくか」という的確なアドバイスをもらっていて、勉強になります。頼りないなって思われていると思うんですけど(笑)。
内田:そんなことは思ってないです。
岩﨑:喧嘩とか意見の衝突もあるんですけど、いいバランスっていうか。
内田:そうですね。
岩﨑:向かっている方向は同じだから。彼がさっき言ったように、私も「好きなことをやるのがいい」って考えているんですよ。自分がワクワクすることをやりまくって、それが人のためになればなおさらいい。それが一番の成功の道だと思っているんですね。

「育てる」と「増やす」を続け、ハゼの可能性を広げていきたい
— 植えた苗木は今、どうなっているのですか。
内田:ちゃんと育てて実を収穫するまで、最初の5年はきっちり一旦育てようとしていて、4年目に入りました。
ただ、当初から1、2割は枯れるだろうと予想していたんですけど、植えた場所がよくなかったようで、予想以上に減っていて、今あるのは6割ぐらいです。500本近く植えた町内のほうは今334本に、110本ほど植えた那珂川市のほうは今56本になっています。
植えた場所や土壌による生長の違いも分かったので、僕が失敗したことは、やってはいけないこととして情報提供できますし、現場もお見せできますので、誰かが始めるときには生かせると思います。
— 実が採れたら、どんなことをしたいと考えているのですか。
内田:ハゼノキの素材としての可能性をもっと広げていきたいです。和ろうそく、化粧品、染めものにするのか。油やコーティング系の材料になる可能性もあるんです。2026年は具体的に商品の輪郭を描き、何かをつくって販売するターンに入っていきます。ようやくここまでこれました。


安定的に供給できるようになるまでは、「育てる」と「増やす」を続けていきます。大隅半島で1,000本ぐらいまでは増やしたく、再造林をせずにそのまま残ってしまっている場所や竹やぶになっているところを活用したいです。西日本であれば育ちやすいと考えているので、興味をもってくださる方がいらっしゃれば、大隅半島以外でも生産地を増やしたいですね。将来的には、10万本や20万本など、昔あったような単位に戻したいなと思っています。
岩﨑:まだ地域の方たちに「ハゼノキっていいんだね」と思っていただける状況ではないんですけど、こちらから特に発信していないのに、地域の方から「ハゼ、植えてるらしいね」と言われる雰囲気はちょっと出てきました。
内田:僕はいきなり「みなさん、ハゼノキやりましょう」っていうのはあんまりよくないと思っているんです。成果が見えてきたら、うまくいっている例として広まっていけばいいなと考えています。
— ハゼノキを大事に育てる人や関心をもつ人の輪が広がっていくといいですね。ありがとうございました。
