株式会社今隈製茶 

今隈 幸洋さん

日本茶はもっと自由でいい。
お茶の奥深さを届けたい

鹿児島湾を望む斜面に、お茶畑が広がっている。濃い緑の畝が連なる向こうには、広い空と開聞岳を背景に鏡のような海面が見える。今隈製茶、今隈幸洋さんの茶畑だ。深く息を吸うと体のすみずみにまで新しい空気が行き渡った。

「大根占」と書いて「おおねじめ」と読む。ここ一帯、大根占地区で採れるお茶は、早い時期に出荷の始まる早場茶として知られる。県内でいち早く深蒸し茶用の葉の栽培を始めた産地でもあるらしい。

お茶農家に生まれ育った今隈さんは、家業の製茶業を継ぎ、次の世代につなぐべくさまざまなトライをしている。昨年、自宅のそばに新しく日本茶カフェをオープンさせたのも、大根占茶だけでなく日本のお茶文化そのものを、若い人たちに広めたいという思いからだった。

25年前に比べて、茶畑の広さは6倍に

今隈製茶は、茶葉の栽培から製茶までを手がける茶農家だ。今隈さんは、45歳。父親の代から始めたお茶の仕事を20歳で手伝い始め、35歳で経営を継いだ。

子供の頃から周囲には跡取り息子として扱われてきた。そのためか自然といつかは茶園を継ぐものだと思ってきたという。

「田舎ですし、今と違って情報量も少ないので、ほかの環境や仕事と比べる間もなく、もうやるものだと思って育ちました」

だが決して嫌ではなかった。農業系の高校へ通った後、二年間は日本茶の本場である静岡県にある試験場でお茶の加工を学び、日本手もみ製茶技術資格を取得。20歳で地元の錦江町に戻ってきた。

驚くのは、今隈さんが手伝い始めた当時から今にかけて茶畑の面積が大幅に広がったことだ。2ヘクタールほどの畑は、今や6倍の12ヘクタールはある。

「もともと規模を広げていきたい気持ちはありました。全国的にお茶の単価も落ちているので、茶園を維持するためには生産量を増やしていかないと厳しい。でも最近はそれだけじゃなく、周りでやめる農家が多くて、畑を維持できないから任せたいという相談が増えたんです」

大根占茶は早場茶の産地としてより高値で取引されてきた。一般の消費者にはあまり名前が知られていないが、業界内では有名な産地だ。

単価が高いため、品質にこだわった栽培ができるのが強みだという。最盛期にはお茶農家が70名近くいたが、今では十数名に減ってしまったのだそうだ。お茶の加工場をもつ茶園は、今隈製茶を含めて5軒のみ。

人手があればもっと栽培面積も増やせる。だが周囲の茶農家とみな忙しい時期が重なるため働き手がないのが悩みでもある。お茶農家の繁忙期は一番茶を摘み始める4〜6月がピークで、製茶の作業は8月頃まで続く。その時期は猫の手も借りたいほどだが、一年中仕事があるわけではないため、正規の雇用がしづらい難しさがある。

お茶づくりの奥深さに魅了され

家業であるゆえに始めたお茶づくりだったが、今隈さんはその奥深さにどんどん惹きつけられていった。ほかの農産物と違って、栽培して収穫して終わりではなく、茶葉を加工する段階で、つくり手の個性が出る。茶葉の蒸し方、もみ方、乾燥度合い…と荒茶までの一次加工にはさまざまな工程があり、工夫の仕方は無限にあった。今隈さんは静岡で得た手もみ製茶法の経験を活かし、五感を研ぎ澄まして茶葉と向き合う。

お茶づくりは面白い、そう感じた。

「お茶は農作物でもありますが、作品をつくっているような感覚もあります。うちでは、渋みを抑えて甘みとうまみが強い味を目指していて。そのためには、栽培もすごく大事。手ざわりがよくて、やわらかい茶葉であることが、お茶の味を左右するんです」

今隈さんのお茶畑にはのびやかに光が降り注ぎ、穏やかな風が吹いていた。水はけのよい土壌と温暖さで霜の被害を受けにくい。栽培上、たっぷり日の光を浴びることと、根っこから土の養分を十分に吸い上げることが重要だという。だから土には化学肥料を極力抑えて、油粕や魚粕を配合した発酵肥料を使い、健康的な土になるよう手を尽くす。

葉はできるだけやわらかい状態で刈るのがいい。浅蒸しでぴんと伸びた葉っぱでも、さわると柔らかいのが理想。だからこそ、摘みどきがかなめだ。必然的に、寝る間を惜しんでの仕事になる。

「1番茶、2番茶のシーズンは朝4時頃から収穫して、一日中機械をまわしながら、作業が深夜に及ぶこともありますね。職場に泊まり込んだりして」

摘む時期、葉の状態、機械の使い方など、手がける人の技量に応じて、お茶の味が変わる。そこまで気をかけて初めて、柔らかくてうまみと甘みの強いお茶ができ、それが私たちの食卓へ届くのだ。

「日本茶はもっと自由でいい」

ただそうしてこだわってつくられる日本茶の魅力が、消費者に届きにくい世の中でもある。緑茶はペットボトルやティーパックが浸透し、ゆっくり急須で美味しいお茶を淹れるという文化そのものが薄れつつあるからだ。

一方で、コーヒーはいまや世界を席巻している。スターバックスは日本でも大人気だし、ブルーボトルだサードウェーブだと、飲みたい豆の銘柄や産地、トレーサビリティにこだわる人も多い。飲み方もラテやモカ、マキアートなど豊富で、一大コーヒー文化圏ができあがっている。

だからこそ「日本茶も、もっと自由でいい」と今隈さんはいう。

オーソドックスな煎茶だけでなく、緑茶をつかったソフトクリームやラテ、フラッペなど、多くの人たちに好まれそうな甘い飲み物があっていい。

そこで2023年に新しく自宅そばで始めたのが、日本茶カフェ「ten」だ。

人によっては「これはもはやお茶とは言えない」と思うような甘い飲みものであっても、日本茶の奥深さに気づく入り口、第一歩になるかもしれない。

じつは父の後を継いだ時から「いつかは店まで持ちたい」と思っていたと話す。

今まではなかなかその余裕がなかったが、コロナ禍でイベント出店などがなくなったのを機会に、じっくり準備する時間ができた。お茶の生産者の間では、今隈さんと思いを等しくする人も多く、ここ数年の間に鹿児島県内でも、新しいスタイルで日本茶を提案する店が次々に誕生しつつあった。そうした店を、視察も兼ねて奥さんと二人で見てまわったという。日置市の「HIOKI CHAHO」、霧島市の「年輪堂」、南九州市頴娃町の「だしとお茶の店 潮や、」など。

「若い人もたくさん来ていて、お茶も美味しいし、ああすごいなぁと思いましたね。うちの店でも色々参考にさせてもらっています」

開店までに一番時間をかけたのは、メニューの開発だった。試作をしては奥さんの麻樹さんに飲んでもらう、の繰り返し。そうしてできた自信作をいまtenでは楽しむことができる。

「お茶の味をしっかり残したいというのが一番こだわった点です。あとはミルクも植物性のものに。フラッペの甘さなどは、お客さんの好みによってそれぞれなので、調整できるようにしました」

緑茶のフラッペを注文すると、抹茶とは違って、あざやかな緑色に真っ白のクリームがのったフラッペが出てきた。冷たくて甘くて、でもしっかり日本茶の香りと味が感じられる。思えば、巷でよく見るソフトクリームなどは抹茶味のものが多く、「緑茶味」というのは珍しい。

「ten」は外壁からして黒い壁で内装もスタイリッシュ。フラッペを前にするとその色味がますます映えた。インスタで宣伝してくれる人も多く、人が人を呼ぶ形でお客さんが増えている。地区外から訪れる人も多いが、予想に反して、年配者も来てくれるという。

「飲んだ瞬間、“うまっ”と言ってくれたりすると嬉しいです。でもやっぱり、本来のお茶の味がわかる煎茶を褒めてもらえるのが一番嬉しいかもしれません」と麻樹さんは笑って言った。

日本茶文化への入り口として

従来の大根占茶は、荒茶として市場向けに出荷されるのが主だったが、これから先、今隈さんは直接販売を増やしていきたいと考えている。

青空市などにも積極的に参加するのは、お客さんの生の声が聞けるいい機会だからだ。

「なかには『大根占』という漢字を見て、大根の産地ですか?と聞かれて驚いたこともあります。少しでも大根占茶の認知度につながればいいなと思っています」

tenの店内にはカフェスペースのほか、お洒落な茶器やオリジナルの商品も陳列してある。ショップやネットで販売する「いまくま茶園」の名前が入った商品も、本格的につくり始めた。

今隈さん自ら店頭に立ち、まだ、どことなく慣れない手つきでフラッペをつくり、接客もする。「性分が農家なので話すのが苦手で」と頭を掻くが、その壁を超えて接客も飲食業にも果敢にチャレンジしている。「一人でも多くの人に緑茶の魅力を伝える」という目標を前に、今隈さんは何者にでもなれるのだなと思う。

緑茶を美味しいと感じ興味をもつ人が増えれば、もっとお茶のことを知りたくなるだろう。フラッペやラテの先にあるオリジンティーの味。ほんの少し手間をかけてお茶を淹れてゆっくり味わう。そうした文化が再び若い人たちに浸透すれば次の世代につながり、茶葉の栽培、製造もますます盛んになるに違いない。

コーヒー同様、日本茶の銘柄にこだわって選んで楽しむ、そんな時代もそう遠くない未来にくるのかもしれないと思えた。

取材・文 | 甲斐 かおり
写真 | 小野 慶輔