一般社団法人あわい 代表理事・錦江町長
伊藤 愛さん・新田 敏郎さん
大阪、パリ、東京、そして錦江町へ。チャレンジを受け入れてくれる寛容なまちだから、アーティストの私も地域で楽しく生きていける。
2021年春。
フランス・パリで音楽を学び、東京で音楽活動をしていたフルート奏者の伊藤愛(いとう・まなみ)さんが、鹿児島県・錦江町へ移住しました。
2025年の今も、彼女は錦江町に住み、音楽活動を続けています。
彼女のInstagramのプロフィールには、今こう書いてあります。
「田舎で暮らすフルート吹き」。
肩に力の入っていない、自然体な感じが伝わってきませんか?
都会から、錦江町へ。そこにはどのような思いがあったのでしょうか。
取材をするうちに、きっかけは当時錦江町の地域おこし協力隊の担当課長を務めていた、新田敏郎(しんでん・としろう)町長との出会いだったことが分かりました。
伊藤さんの人生を変えた二人の出会いの日や、そこから始まった錦江町での物語について、二人に語ってもらいました。
「こんな大人がいるまちで自分も働きたい」と移住を決意
— 錦江町とのご縁が生まれたのが2020年だったとお聞きしました。音楽家としてそれまでどう活動し、当時はコロナ禍で何を感じていたのでしょうか。
伊藤:私は大阪出身です。13歳でフルートを始め、高校卒業後に渡仏し、パリで5年間学生をしていました。2019年秋に帰国し、フリーランスの音楽家と、ある芸術劇場のオーケストラアカデミーのフルート奏者として活動を開始したんです。すぐにお仕事をいただけて、「ついに憧れの音楽家としての仕事が始まった!」とうれしく感じていました。
そんななかコロナ禍になり、半年先までの公演が全部キャンセルになったんです。音楽活動が強制的にストップして、自分に向き合う時間ができ、「自分は東京で何をしたいんだろう。そもそもどんな音楽家になりたいんだろう」と考えるようになりました。
それまではありがたいことにポンッとお仕事をいただけていたので、「どういう音楽家になりたいのか」や「音楽を通じて、自分の力でどう社会とつながっていくか」までは能動的に深く考えられていなかったんですね。「私がやりたいことって東京にはないのかもしれない。地方でいろいろなチャレンジがしたいな。フルート奏者として自分の足で音楽を届けに行く活動がしてみたい」と思うようになりました。
地域おこし協力隊の活動が視野に入って、調べていろいろな自治体に問い合わせたり、オンラインでお話をさせていただいたりしたんです。そのとき、「やっぱり音楽や芸術って、あまりいい顔をされないんだな……」と感じました。農業や福祉などで人を募集されている自治体が多く、音楽は差し迫った地域課題ではない、というか。


— コロナ禍で公演がなくなり、地域でも自分の専門分野が必要とされていないと感じると、自分の存在について悩んでしまいますね。
伊藤:そうですね。でもそんななかで、当時錦江町の地域おこし協力隊は、幅広い活動内容で募集されていたんです。何でもねじ込めちゃうみたいな(笑)。
新田:ミッションはあったんだけど(笑)。
伊藤:はい(笑)。「これは!」と思って、錦江町の地域おこし協力隊の募集記事を書いていた、当時現役だった方にコンタクトを取ったら「遊びに来てみませんか」って言ってくださって。それまで鹿児島にご縁はなく、錦江町という町名すら知らない状況でしたが、惹かれて行ってみることにしました。
2020年秋、遊びに来たら、まちの人たちや空気がすごく生き生きしていて。その協力隊の方が「若い子が遊びに来たよ」と呼びかけたところ、夜いろいろな方が来てくださいました。大きな鍋でおでんを持ってきてくださったり、高菜のおにぎりをいっぱい握ってくださったり、「錦江町のおいしい特産物だよ」ってひらまさのお刺身を持ってきてくださったり。当時の私は、いい意味でショックを受けたんです。
極めつけが、当時は錦江町の職員として地域おこし協力隊の担当課長をされていた、新田町長との出会いでした。お話ししたら、「『まちのために』っていうよりも、(地域おこし協力隊の)3年間を自分のキャリアの糧に使って欲しい」と言ってくださって、驚きました。
何か「地域おこし協力隊」って、どうしても名称にインパクトがあって(苦笑)、「地域にすごく貢献しなくてはいけない立場なんだろう」と考えていたんです。まちにとって役に立つ人でなければならない、と。
でも、町長は「そうではないんです。まちにとってのヒーローを求めているわけではない。まちが抱えてきた課題を、移住してきた若者に『3年間で解決しろ』なんて、そんな乱暴なことはない。3年間をキャリアの糧にして、どんどん挑戦してどんどん失敗したらいい。尻拭いは俺たちがするんだから」と話してくださいました。
それに深く感激して、「こんな大人がいるまちで自分も働きたい。地域で挑戦するならこのまちがいい」って率直に思ったんですね。

— 町長はどのような思いから、伊藤さんにそう話したのですか。
新田:あのとき、コロナ禍でアーティストとしての生き方を模索されていて、自分のピュアな気持ちを初対面のおっさんに素直に話してくれたんですよね。
錦江町は情報発信力が非常に弱いので、広報を担うクリエイターがいたらいいなと考え、情報発信をミッションにした地域おこし協力隊の募集を出していました。私は、音楽は人にとって非常に大事なものだと思っていたので、彼女は適任だな、と。それで「錦江町で活動できればいいね」といったことは話したと思います。
たしかに彼女が言ったように、地域では音楽や芸術分野はちょっと横に置かれるような状況はあるんです。だけれども、やっぱり音楽の効果はものすごいものがあります。楽しいときも悲しいときも、音楽って人の心を和ませてくれるんですね。彼女が来てもっと活動が広がっていけばいいんじゃないかなとぼんやり思ったものですから。
伊藤:そのお言葉が本当にうれしかったですね。当時は「不要不急なんじゃないか」という議論がなされ、参っていましたし、コロナ禍がいつまで続くのかも見えない状況で、「何のために日々音楽と向き合って練習していけばいいんだろう」と感じていました。
町長に出会って「自分が音楽を届ける先や、音楽を活かせる場所があるかもしれない」と、希望が見えたんです。音楽を自分の足で届ける経験を重ねることで、音楽家としても深みが出るかもしれないなとか、自分がどういうふうに音楽と向き合って、それをどう社会に届けていくかが見えるかもしれないと思いました。「都会でコロナ禍が終わるのを待つよりも、生き生きした人たちがいるまちに行こう」と、決めました。

その人の「好き」が尊重されるまちこそ、多様性が力強くなる
— そういう経緯で移住を決意して、地域おこし協力隊になったのですね。
伊藤:はい。そのまますぐ応募して、2021年1月頃に面接を受け、正式に決まってから急いで運転免許を取りに行って(笑)、4月に地域おこし協力隊に着任したんです。その活動と、フリーランスの音楽家としての活動を並行して行うことになりました。
はじめは、どこで音楽を求めていただけるのか分からなかったので、いろいろな人に会いに行ってお話ししました。そのなかで「幼稚園で子どもたちに聴かせて欲しい」とか「ご高齢の方たちは足が悪い方が多いから、音楽を届けに来て欲しい」といったお声をいただいて、うかがっていました。
新田:彼女が音楽のイベントを開催したとき、お客さんとして来ていた町民の方々を見て「えー、この方、音楽好きなんだ!」「そんな特技を持っていらっしゃるんだ」などと驚いたことがありました。私たちも町民さんを知っているようで知らない。ある面は知っていても、違う面は知らないということがあるんですよね。それに気付かせてもらいました。
先日もびっくりしたんです。ふだん会議などでは後ろの席に座ることが多い方たちが、彼女の公演で最前面に座っていました(笑)。それはきっと、彼女が3年間やってきたことが広まって、観客側にも「私こんなことが大好きなんですよ」と周囲に表明することが許容される雰囲気が広がったからですよね。
とてもいいなと思いました。多様性って、言葉で言うのは簡単ですけど、その人の「好き」が尊重されるまちこそ、多様性が力強くなるという気がしています。
伊藤:うれしいです。
— 音楽を届けるほかには、どんな活動を?
伊藤:ほかは、生涯学習講座でフルート演奏を教える活動などです。生涯学習講座は無料で参加できるため、参加してくださる方がたくさんいました。
「実は娘がフルートをやっていたので家に眠っていて、吹いてみたいなって思っていたんです」と参加してくれた大人の方や、「本当はやりたかったけど、下に兄弟がいっぱいいるから、お金がかかることは我慢していた。でも生涯学習講座なら参加できる」と参加してくれた高校生など、いろいろな人との出会いがたくさんありました。

プレーヤー活動と裏方として支える活動の、両軸で生きていきたい
— 着任当初の活動予定から、いい意味で変わっていった部分はありますか。
伊藤:着任当初は、自分や知り合いのアーティストたちが地方で生きていける実験ができたらいいなと思っていたんです。でも、活動しているうちに、「この環境を求めているアーティストやクリエイターは絶対に他にもいるな」という思いに変わりました。自分だけが恩恵を受けるのではなく、地方でいろいろなアーティストやクリエイターが生きていける環境になっていけばいいなと。
そこで、「地方にも可能性あるよ、仕事あるよ」と知っていただくために、協力隊の予算で私がイベントを企画して、都会からプロのアーティストに来ていただくことをしていました。
「伊藤がいるから錦江町に行きやすい」と思ってくださるアーティストもいるかもしれないから、つなぎ役として受け入れることもできるんじゃないかと考えるようになって、アーティストが滞在して作品づくりなどを行うアーティスト・イン・レジデンスの活動も始めました。詳しくは、2023年夏に行ったクラウドファンディングのページに記載しています。最初は全く、そんなことを始めるとは思っていなかったです。

— アーティスト・イン・レジデンスの活動では、伊藤さんは完全に裏方なのですか?
伊藤:はい。今の理想の生き方は、自分が表に出るプレーヤーとしての活動と、裏方としてアーティストやクリエイターを支える活動の、両軸で生きていくことです。バランスを取りたいなと思っています。
新田:私は町長という立場ですけど、町民のお一人お一人と話す機会ってなかなかないんですよね。でも地域のおじいさん、おばあさんたちを、彼女はよく知っています。素人でも音楽や芸術に親しんでいける仕掛けをしてくれているので、非常にありがたいです。
— 伊藤さんが自分の活動を特に届けたい人はいますか。
伊藤:楽しんで受け取ってくださる方がいたらうれしいなって思っているんですけど、強いて言うなら、子どもたちでしょうか。地方で生まれ育った子どもたちには将来の選択肢が多くない子もいるので、好きなことをやって生きている大人が身近に住んでいる環境はいいなとは思うんです。都会などから公演に来て出会う音楽家とは違って、たまたま近所に住んでいるお姉ちゃんの職業が音楽家だという。「そっか、自分が好きなことがもしかしたら将来仕事につながるかもしれないんだ」と感じてくれたら、うれしいことだなって思います。
— 2024年3月に任期を終えて、その後はどのような活動をしているのですか?
伊藤:あまり変わっていません。錦江町に住みながら、フリーランスで音楽活動をしています。
裏方の活動では「一般社団法人あわい」を立ち上げ、代表理事として、プロのアーティストが出演するイベントやアーティスト・クリエイター向けシェアハウスの運営、町民さんが表現できる場の提供などをしています。2025年夏には、錦江町・南大隅町を中心に大隅半島全域でアートを通して地域とつながる体験ができる「めぐるおおすみアートweeks2025」を企画・開催しました。プレイヤーと裏方の比率は半々くらいです。
新田:協力隊制度は基本3年ではありますが、うちの場合は錦江町に定住しなくてもいいということが大前提なんですよ。だから、こんなに長く住んでくれることは想像していなかったので、うれしいですね。
伊藤:私も想像できなかったです(笑)。
新田:彼女の活動を、まちの子どもたちが見ることによって、「職業って、仕事って何だろう」と考えてくれるかもしれません。既存の産業分類で職業を捉えがちですけど、いろいろな視点からの仕事があると感じてくれればいいですね。錦江町はキャリア教育に力を入れているので、子どもの未来のために羅針盤になってくれればいいなと思います。
伊藤:錦江町には新しいものや新しいチャレンジを受け入れる心の寛容さがあるなと感じています。そこで自分がチャレンジできていて居心地がいいですし、他のアーティストやクリエイターにつないでいく活動も続けたいですね。

— 錦江町での活動に関心をもったアーティストやクリエイターは、どこに連絡すればいいですか?
新田:錦江町が毎年開催している「錦江町ローカルベンチャースクール」は、自分の活動やビジネスプランをブラッシュアップできる、学びの場です。選考会で採択されると活動費が支払われ、自由度の高い活動ができると思います。詳しくは公式サイトをご覧ください。
伊藤:私のプレイヤーとしての活動はInstagramをご覧いただき、アーティスト・クリエイター向けシェアハウスに関心がある方は「一般社団法人あわい」にご連絡いただければと思います。あわいの拠点である「あわい池水邸」には、3部屋の個室がある古民家と2階建ての倉庫があります。
— いいご縁が生まれるといいですね。ありがとうございました。
