畜産家
川路譲二さん
正解がないからこそ探求し
つながりが生まれる牛飼いの道

山あいの静かな道を進んだ先に、和牛の繁殖農家を営む川路譲二さんの自宅がある。奥さんと4人の娘さんと暮らす自宅リビングにはたくさんの家族写真が飾られており、仲睦まじい家族の様子が伝わってくる。
川路さんは7年前、実家を継ぐために鹿屋市から実家のある錦江町田代川原に戻ってきた。町内でも開けた土地である大根占とは違い、山間部で近くにコンビニなどもないため、引っ越してきた当初は子どもの教育環境などの不安も感じていたそう。しかし、同世代の子を持つ農家は結構いて、家族ぐるみの付き合いや助け合いがあり、今は「住めば都」だと感じている。
さらに4人の娘さんのうち、長女は牛飼いの仕事に興味津々。「牛が大好きで、学校から帰ってきたら子牛のミルクやりに来たりしています。自分も同じように牛がいる環境で育ったけど、子どもの頃はそんなに興味がなかったから驚きますね」と川路さんは嬉しそうな表情で話してくれた。

一度は反発心から回り道
そう語るように、川路さんは一直線に跡継ぎへの道を進んだわけではなかった。高校は畜産科のある鹿屋農業高校ではなく、鹿屋工業高校の機械科へ。
「中学生の頃、周りも両親も『農業高校へ行くんだろうな』と思っていた節があるんです。ひねくれているので周りが思う通りに進みたくなくて。機械科で何かを勉強したいとか、深い理由もなく進路を決めました」
決して牛を飼うことが嫌だったわけではない。ただ、決められた道へ進むことに対する反発心があった。しかしその選択に、親からは特に何かを言われることはなかった。「結構自由にさせてもらっていましたね」と川路さん。
「でもぼんやりと『いつかは牛を飼うんだろうな』とは思っていたんです。子どもの頃から牛舎が遊び場で、生活の中に当たり前に牛がいたから。機械科に進んでからも週末は実家の手伝いをしていました」

高校卒業後は鹿屋の食肉工場に就職。ここでも、勤務しながら繫忙期などは家業の手伝いを続ける日々を送る。さらに、子牛のセリで人手が必要な時などは休みを取って駆け付けていた。
「その頃ぐらいから牧草づくりや餌代など、リアルな金額がわかるようになり、知識が増えてくるにつれて面白さを感じるようになりました。ちょうど子牛相場が上がっていたので、それもモチベーションになって」
家業への向き合い方が、徐々に意欲的にと変化していった。勤務先の業務でデータを作成したり勤務管理をしたりする際も「もし帰って牛をやるならこういう知識が役に立つのかな」と、先のことを考えるようになっていった。

技術共励会での受賞を機に、家業へ入る決断
食肉工場に勤務して9年経った頃、川路さんの父・伸一郎さんから「戻ってきて、家業を手伝って欲しい」と相談があった。元々伸一郎さんは牛の肥育をメインに繁殖も一部手掛けていた農家だった。しかし子牛相場が急激に上がり始めたことから、子牛の購入費用に加えて餌代などのコストが大幅に増加。そこで肥育を一切やめ、繁殖用の母牛を増頭していくことにしたのだ。
当時、食肉工場で川路さんが担当していたのは豚の枝肉の脱骨作業だ。後輩もおり、ベテランの責任あるポジションになりつつあった。枝肉から骨を取り外しながらブロック肉に切り分けていく作業は、ひとつひとつの骨の特徴や形に合わせて包丁を入れていく必要がある。精密さとスピーディーさを要求される仕事であり、熟練の職人の包丁さばきは、ほれぼれするほどなめらかで美しい。
「自分で言うのもなんですけどそれなりに腕はありましたね。会社にはお世話になったので、急に辞めるのではなく何か爪痕のようなものを残したくて。全国食肉センター協議会主催の枝肉のカッティング技術を競う大会で全国大会に行けたら、それを一つの区切りにして実家に帰ろうと思いました」
川路さんは初参加で順調に勝ち進み、見事全国大会へ。すぐに目標を達成した。「全国大会では七位でした。せっかくなら一位になって終わらせたかったのですが、目標は果たしたので帰ることにしました」
「父がしてきたことにプラスして、自分で何かしたい」と、繁殖規模拡大に貢献するために、退職後はすぐに人工授精師の資格を取得。さらに、機械の牽引や大型特殊自動車免許などの資格も取得して備えた。


敵わない父の目利き
川路さんが戻った後、母牛の増頭や牛舎の改築を進めていき、現在は約60頭の母牛を飼育。毎年約50匹の子牛が誕生している。
親子で一緒に働く中で仕事に対する考えが対立することもある。昔から続けてきた親世代と、新しい方法を模索したい子ども世代とで考え方が食い違うのは、どの業界でも聞く話である。
川路さんもその例に漏れないという。しかし、川路さんに父親について聞けば聞くほど、牛飼いとしての能力の高さを伝える話ばかりが出てくる。
「自分はこうしたいんだけど、父は違う。向こうの考えが古いと感じますが、結果的に父の言うことが正しいこともあります。牛飼っている年数は格段に父が上で、牛の異変を察知する能力がすごく高い。『何か様子がおかしくないけ?』と体温を測ったら熱があったり」
考えは違っても牛飼いの先輩としても父親の能力には敬意を払っている様子が伺える。一方で、顔を突き合わせて仕事をすると衝突しやすくなるので、それぞれの持ち場で別々に作業するようにすることに加えて「通訳じゃないですけど母伝いにやり取りしています」と、ほどよい距離感を保ちながら仕事をするようにしているという。「機嫌がいいときはたまに一緒に飲んだりもします」

伸一郎さんも、川路さんと同じように子どもの頃から牛に親しんで育った。といっても畜産農家というわけではなく、家の庭先で数頭飼育するという、昔はよく見られた飼育スタイルだ。農業高校を卒業後に鳥取へ牛の修行に行き、戻ってきてからはJAの肥育牛センターに勤めながら、繁殖・肥育農家をしてきた。長年牛と向き合い、センターでは場長を務めていたから、牛を見る目が肥えているという。
「気に入った牛は競り切りたいので、市場の名簿を見ながら一通り自分で見た後に父に相談しています。そうすると、『○番の牛がいいぞ』とか『血統を考えるとこれは高いから、安く買いたいならこれがいい』とか『予算があるならこの牛がいい』とか教えてくれます。自分も牛を見る目を鍛えているところです」

助け合いの精神がある田代だからこそ
家業に入って今年で7年、この仕事は自分に合っていると川路さんは感じているそうだ。
「牛は一頭一頭違うし、やり方も人それぞれだから、これが正解という答えはないけれど、探求してくのが面白さでもあります。自分より圧倒的に長く牛を飼っているおじいちゃんおばあちゃんからでも『こういうときはどうしているけ?』って質問されるほどです」
正解がないからこそ、飲み会から認定農業者の研修会まで、人や情報が集まる場には積極的に足を運んで情報交換することを大事にしている。農場を見せてもらいに行ったり、気になることがあれば初歩的なことでも恥ずかしがらずに質問したりしているという。
何でも吸収しようとする前向きな姿勢は「元がない」からこそ、その分学びたい気持ちの表れなのだそう。
「専門の学校に行かなくても牛は飼えると思ってたんすけど、周りの農大卒業している人たちはしっかり勉強しているから知識が豊富だなと感じます。でも進学しなかった後悔はないです。勉強は自分の熱意や気持ちがないと入らないじゃないすか。学びたい意思がある今だからこそ真剣に向き合っています」

牛の削蹄(爪切り)や血統の勉強、機械の扱い、牧草づくりなど、勉強することは尽きない。人との関わりの中で刺激を受け、さらに自分の仕事に対する意欲が生まれている。切磋琢磨し合える環境は田代の環境によるところも大きいという。
「田代の人たちは普通なら人に教えないようなことも共有してくれるから、一緒に高め合えるなって思います。元々、田代という土地自体は“不利”なんですよ。交通の便も悪いし、台風が来たら陸の孤島、山水を引いて田んぼを作れば水が不足しがちです。でも昔からその環境だから、自然と譲り合いができているんですよね。僕ら牛飼いが米農家さんから藁を分けてもらったり、逆に堆肥を分けたり、助け合いでやってきている地域性があります」
数年前に川路さんは削蹄師の資格を取得して、近隣農家の牛の削蹄にも駆けつけている。きっかけは田代の若手たちが近隣農家の削蹄に奮闘している姿を見たことだ。削蹄は力も技術も要するため、自分では対応できない農家も多い。限られた人材で対応していたため、「自分も削蹄ができれば彼らの助けになる」と考えてのことだ。さらにその後数名の若手も資格を取り、助け合いのバトンが地域で受け継がれている。
最近は田代だけでなく、大根占の人たちとも交流や情報交換の場が増えていて、いい関係性が育まれているという。「田代、錦江町の牛を買えば間違いない」と言われるように、地域の人たちと一緒に取り組んでいくのが今後の展望だ。


興味を持ってくれる子どもたちの存在が力に
今年の夏、川路さんにうれしい出来事があった。長女の友人が、学校の自由研究に取り上げたいと牛飼いの仕事を取材に来てくれたのだ。質問したいことをあらかじめまとめ、2日間泊りがけで牛や仕事についてみっちり勉強した。
「子どもの牛に対するイメージって、『怖い』『くさい』とかになりがちですよね。だから僕は子どもには仕事に関わらないようにしてもらおうかと思っていたんですけれど、長女も、長女の友だちも、自分から興味を持って好きになってくれました。すごくうれしいですね」
長女は大切にしていた子牛をセリに出した後は「いい値で売れた?」とか「あの子牛は大きかったから値が良かったね」など、頼もしい言葉をかけてくれるのだとか。畜産農家ではない人間から見れば「大切にしていた子牛が売られて悲しまないのかな」と、ついステレオタイプに考えてしまいがちだが、父親の働く姿や牛に接する姿を見て、また大人たちの会話を聞いて、そのような葛藤は既に乗り越えて本人なりに感じているところがあるのかもしれない。
「もちろん今後はどうなるかわからないですし進路は本人が決めることですが、最近の畜産は女性も活躍する仕事になっているというのは感じています。興味を持ってくれる子たちはまだまだいて、将来は明るいのかなという気持ちになりました」
川路さんが、人や地域とのかかわりの中で畜産に面白さを見出していったように、川路さん自身の前向きに働く姿勢は周囲の人々を自然と引き寄せ、活力や影響を与えている。それは、地域や畜産の未来を切り開いていく原動力となるはずだ。

