有限会社 大隅南北
前田珠さん
自分に負けず、清潔を守る
“地域のお掃除屋さん”としての四半世紀

錦江町で清掃業を営む前田珠さんを訪ねた。この日の現場は海に面した港団地。前田さんは作業着に身を包み、作業用腰ベルトに掃除用具を下げた姿で黙々と窓掃除に打ち込んでいた。ベランダに立ち、水を流してワイパーで擦る。サッシは一度取り外してからゴシゴシ擦って汚れを徹底的に落としていく。埃やチリが洗い流されてピカピカになった窓の向こうには青い海がよく見える。次に入居する人は、この窓からの景色を気持ちよく眺めるのだろう。
日々の清掃で前田さんが大事にしているのは「自分に負けない」という強い気持ちだ。
「掃除はここさえ押さえておけばきれいになったように見えるポイントがあるんです。だから楽をしようと思えばいくらでも手を抜けてしまう。でも本当にそれでいいのか、ちゃんとお客さんにお金を頂ける仕事をしているのか、自分に問いかけて掃除屋として胸を張れるレベルまで仕上げようという意識で続けています」
新規の仕事依頼は人からの紹介がほとんど。既存のお客さんと紹介で仕事のスケジュールがびっしり埋まってしまうため、HPは持っていない。錦江町で“地域のお掃除屋さん”として信頼と実績を積み重ね続けて四半世紀以上になる。

日々発見と驚きがある清掃の仕事
「清掃」と一口に言っても、その仕事内容は幅広い。一般家庭から医療施設 、公営住宅、官公庁などあらゆる現場に入り、普段の生活では手の届きにくい換気扇やエアコン内部、サッシや排水溝と建物内の隅々まできれいにする。さらには空き家の家財撤去まで対応しているという。
清掃に入る日時も依頼主の都合に合わせて調整するため、夜間や土日に働くことも多い。多忙を極めるのは12月の年末清掃と毎年3~4月の引っ越しシーズンだ。住人の退去から新住人の入居までのわずかな期間内に清掃を済ませて欲しいという依頼が次々と舞い込む。
長年あらゆる現場に赴いてきた前田さんだが、清掃の仕事はひとつとして同じところはないという。
「換気扇だけでもいろんな型式があるから。長年この仕事をしていますけど『こんなタイプの換気扇初めて見た』ということがまだまだあるんですよ。だから本当に、毎日新しい発見があるし、新鮮ですよ。お掃除の仕事は場数をこなしていくしかないです」
ある食品工場では油でべたついた巨大な換気扇の清掃を行った。換気扇は天井にあり、清掃するのが難しい位置だ。脚立が立てかけられなかったため、どのようにきれいにするかの対応に四苦八苦した。一般家庭でのハウスクリーニングでも「なぜこんな場所に窓があるのか」と不思議になるほど、掃除しにくい造りになっているのを見ることもある。
困難な現場でも掃除屋として胸を張れるレベルまで仕上げようという気持ちと、日々磨いてきた掃除の技術、さらにはその場での創意工夫や対応力といった前田さんのプロ意識で、この仕事は成り立っている。

引き受けた仕事は全うする
実は掃除は自ら強く志望して始めた仕事ではない。きっかけは、なんとなく始めた父の仕事の手伝いから。前田さんは高校卒業後、東京の印刷会社で写植のオペレーターなどを経験した後、30歳で錦江町に戻ってきた。「1年くらいゆっくりしたら東京に戻ろうかな」と“つなぎ”で手伝うようになったのが始まりだった。
前田さんの父はいくつかの仕事を転々とした後、鹿屋の清掃会社に数年勤務してから独立して清掃業を始めていた。社名の「大隅南北」は大隅半島を南から北まで走り回るぐらい仕事が入るようにとの意味を込めて、お世話になった鹿屋の清掃会社の社長が付けてくれたそうだ。その社長から紹介してもらった取引先のほか、いくつかの清掃会社から委託されて仕事を請け負っていた。
「私が関わるようになって法人化するときに、父からは『代表者はお前がやれ』と言われて務めることになりました」
従業員には兄も加わった。手先が器用でお風呂をピカピカに磨き上げる丁寧な仕事をする兄だが、経営には携わらなかった。父も年齢的なこともあり長時間仕事はできない。前田さんは日々の清掃業務だけでなく、仕事獲得や資金繰りといった経営や人のマネジメントにも奮闘することになる。
「会社としては従業員に毎月安定してお給料を支払わなくてはいけないですし、そのためには仕事を頂いて売上を上げなくてはいけません。一応会社の代表にはなりましたが、わからないことだらけでした」
掃除の方法は父のやり方を見つつ、提携する清掃会社の研修に参加したり、同業者と情報交換したりする中で覚えていった。それでも現場で予想外の事態はたびたび起こる。数多くの現場をこなし、経験値を得ることで技術を磨いていった。
会社運営の悩みで、大きな助けになってくれたのは地元の同級生の存在だ。業種は違うが、経営者の同級生たちがいたので、経理や経営上の悩みを『これどうやった?』と聞いたりできるのは心強かった。
目の前の仕事に必死に向き合い続けた。家財撤去で入った現場は腰の高さまでゴミが貯まっており、襖が開かないくらいモノが詰まっていたこともある。運び出せない重さの家財は、現場で解体してから運び出す。引き受けるのを躊躇しそうな現場でも「依頼した人が困っていたから」「ほかにやる人がいないから」と引き受けてきた。
「『できません』って言葉が頭になかったんだと思う。あまりにも毎日忙しすぎて依頼を断ることすら考えられないくらいで」
7~8年前くらいから人手不足などで物理的に対応が不可能になってから、ようやく断るという選択肢が出てきたという。志望して入った業界ではない、しかし頼まれれば引き受ける、引き受けたからには仕事を全うする。「日々のことに追われて気がついたらもう25年ですよ」とこともなげに言う前田さんだが、彼女の仕事姿勢はシンプルで力強い、働くことの尊さが詰まっているように感じた。


錦江町は素の自分でいられる場所
錦江町で暮らそうと決めて帰ったわけでもなく、清掃の仕事は自ら始めたわけでもない。そんな中、錦江町で清掃の仕事を続けていこうと気持ちが切り替わったのはどうしてだろうか。
「地元で小さいころから知ってくれている人たちの存在、これがすごく居心地が良くて。同級生のお父さんお母さんも、小学生の頃から私を知っているわけですよ。おじいちゃんおばあちゃんたちが『珠ちゃん元気だったね』『暑いね、寒いね』って声がけしてくれて。子どもの頃の私はこの距離感をわずらわしく感じて東京に出ました。でも、大人になって帰ってきたときに、着飾る必要がないこの環境が居心地がいいと思えるようになっていました」
肩肘を張る必要がなく、素の自分でいられる環境。子どもの頃はわからなかった地元の良さを、感じられるようになっていた。ある時東京に遊びに行ってみた。すると、渋谷スクランブル交差点の人の流れに気持ちが悪くなってしまい、もう東京では暮らせないと感じたという。
「東京は遊びに行きたいけれど、住みたいとは思わなくなったんですよね。都会はもういいかなって。よく『田舎は仕事がない』って言うけれど、その気になればできる仕事もたくさんあるかなって」


地域最後のお掃除屋さん
四半世紀がむしゃらに清掃業を続けてきた前田さんも、今後は体力のことを考えてゆっくり仕事を減らしていくことを考えているという。会社を誰かに継いでもらうことは基本的には考えていない。一度は後継者探しの道を模索してみたが、難しかった。清掃の仕事は取り扱いに注意が必要な洗剤を駆使し、脚立での高所作業もある過酷な仕事だ。体力と根気が必要であり「私たちが日常的に行っている掃除」と同じではないのだ。
現在錦江町で清掃業を請け負っているのは前田さんだけ。「南大隅町にある辺塚住宅の清掃は、鹿屋からでも2時間はかかります。うちがいなくなったらここの清掃はどうなるんだろうと心配ですね」
“地域のお掃除屋さん”がいなくなった後のことを考えて、信頼できる近隣の同業者にバトンを渡していく方法を模索中だ。鹿屋にある清掃会社の代表は錦江町出身で、「50歳を過ぎて地元に貢献したいと思うようになってきた」と錦江町での仕事に意欲を見せてくれているそうで、今後は協力体制を作り、少しずつ仕事を託していけたらと考えているところ。
「時間のタイトなものや、大人数で対応する必要のある大きな施設清掃は減らしていって、これからは急ぎでやる必要がない空き家の家財撤去や、その後の空き家活用サポートなどをやっていけたらなと」
そうして落ち着いたら改めて身の振り方を考えていきたいと語る。しかし、長年地域のお掃除屋さんとして周囲から頼られてきた前田さん、落ち着くまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

まだまだ奥が深い掃除の世界
最後に、掃除について伝えたいことを聞いてみると「掃除は奥が深いってことですね」と力説する。床を磨くにしても使う洗剤やワックスはその場の素材に応じて変わるし、磨く道具も数多くある中から適したものを探っていく必要がある。評判の良い洗剤を試してみたら全然汚れが落ちなかったこともあるし、長年従事してきた前田さんをもってしても「まだまだ奥深い」と思わせてくれるのが掃除の世界だ。

一方で、自分の家の掃除はいたってシンプルだそう。仕事なら網戸を取り外して徹底的に汚れを落とす窓掃除も、自宅ではさらっと水を流して終わり。「仕事ならお金をいただけて喜んでもらえるけど、自分ちは何にもならないからさ」と言う前田さんだが、考えなくても体が先に動いてしまうようで、外出先のトイレでトイレットペーパーが切れていたら棚から補充したり、ゴミが落ちていたら拾ったりするのだという。積み重ねで形作られてきた職業習慣は、いつしか前田さんの一部にもなっているようだ。
掃除は終わりのない仕事だ。きれいに床や窓を磨き上げても、人が毎日過ごす中で再び汚れはたまっていく。終わりのない無限の繰り返しだからこそ、関わる人の絶え間ない努力が必要になる。前田さんがきれいにした環境で、今日も働き暮らしていく人たちがいる。前田さんの仕事は、人の心と体を明るく健やかなものに保ち、毎日の生活を支える尊いものであると思った。
